26日(火)平林さんからの電話にてケア施設での打合せがあり池上君と伺う。雨が降る寒い日であったが、「八ヶ岳を望む家」も工事をやっているので立ち寄る。
藤松さんからオープンハウスの連絡を受けていた。忙しいのでこの日外観や外から見える範囲で室内を覗かせていただいた。何年も前からこの地にあったかのように思える自然に同化した美しい家であり関心した。
毎日新聞に掲載 建築家 レンゾ ピアノ氏のコメントに心を惹かれたので以下抜粋します。
[ ◇人間と技術の転換促す
東日本大震災は、人類がこれまで急ぎすぎ、過剰に消費してきたことを私たちに気づかせ、自然と人間、科学と人間の関係を変える大きな時代の転換点になると私はとらえている。
一般論よりも個人的なことから話したい。建築家の仕事は少し変わっていて、大事なのはまずその土地の人間になり切ることだ。観光客のままではうまくいかない。私は、関西国際空港旅客ターミナルビル(94年完成)を造った時は大阪人に、銀座のメゾン・エルメス(01年完成)の時は銀座の人間になろうとした。だから私にとって
日本は母国も同じで、日本人の魂やプライドが実によくわかる。震災の日、ニューヨークで見た津波のテレビ映像を生涯忘れることはできない。まさに自分の母国がやられたのだと思った。
そんな感情が過ぎ去ると原発事故のことを考えた。私は技術を信奉しているが、社会を脅かす技術は支持しない。技術には良い技術と悪い技術があり、原発はやはり後者だということが明らかになった。私は原発の安全性を心配していたが、それでも原発をうまく使いこなせるのは日本人くらいだと常々語ってきた。38カ月間にわたった関西空港ビルの建設期間中、32回の小規模地震にあいながら5000人の関係者が誰も死ななかっのは、彼らが日本人だったからだ。日本人の技術管理は他に類を見ないと今も思っている。
だが今回の事故では原発の限界が暴露され、日本でさえ(他の国と同様に)危険情報の公開が不十分なことがあると世界は知った。技術への楽観には限度があり、自分たちの営みを管理するには限りがあることを知ったのだ。
私は人間が生み出す技術の力を信じている。(核分裂を利用する今の原発と違って放射性廃棄物を残さない)核融合の技術があと40年もすれば実用化されると信じているし、そのための研究は必要だ。だが、何千年も放射能が残るウランなど核物質を扱う現代の原発はやはり危うい。「日本でさえ(事故が起きた)」ということを多くの技術者がいま考えているはずだ。我々は新たなシステムを受け入れねばならない。できるだけエネルギーを使わない世界をつくることだ。もちろんそこには技術の向上が欠かせない。例えば、私のジェノバのスタジオは太陽光と室内の気流を使って温度調節しており、夏も冬もエアコンを使わない。最近完成した米カリフォルニア科学アカデミーの建物も、建設中のアテネ図書館も、エアコンを使っておらず、温室効果ガスの排出はゼロに近い。私はこうした道具や機械も考案する。今はスタッフとともに、軽量で効率のいい風車を編み出している。
まず一人一人が生活のスタイルと意識を変えなくてはならない。大震災は日本のみならず、世界にとっても人間と技術のあり方を考えさせる大きな教訓になった。科学技術の大転換には40~50年かかると言われるが、何十年かかろうと私たちは変わっていくはずだ。]
この文章に励まされた。建築家はしくみを作り出さなくてはならないと前々から研究を重ねているところ・・・これからは様々な専門家とのコラボレーションが特に重要だと思う。
庭のすいせん
Ⓒ 文・かたくら たかゆき
住まいの設計活動を通して住まい専門の建築家がありのままに毎日の生き方を語ります。
クライアントの方たちや家族そして自然との対話の中で常に暮らし向きの良い住まいを創造したいと思います。
住まいをもっと豊かに心地よく/片倉隆幸建築研究室FANPAGEもどうぞ!
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